幸福論は自ら開発しなければならない説【幸せとは何か】
幸福論は自ら開発しなければならない説【幸せとは何か】
こんにちは
44(@yoshiblogsite)です。
「幸せってなんだろう」
漠然とこんなことを考えたことはありませんか。
若かりし頃の僕もこんなことを考えて迷っていました。
今の僕は答えがほぼ見つかっているので、今回の記事では過去の自分に向けてその悩みを解いてもらおうと思います。
幸せは与えられるもの?
幸せは与えられるものだと思っていました。
というか、小さい頃ってみんなそうなんじゃないですかね。
親とか家庭とかがすべての世界ですし、赤ちゃんは何もできないので世界が何でもしてくれます。
なのできっと「幸せは与えられるもの」だという考えが、ほとんどの人にとってのスタート地点になると思います。
ただ、それは本当に子供のころだけに当てはまる条件だと断言していいでしょう。
大人になってからは「幸せは与えられません」
幸せの定義は多様化していく
成長するに従って、個性が出てきます。
小さい頃のように、食べて寝てっていうだけでは幸せではなくなっていきますし、ましてや誰かが幸せにしてくれるってことはありません。
それは脳の構造的には小さい頃の原体験によって、偶然刺激された報酬系のルートがどんどん強化された結果かもしれませんし、生まれつき遺伝子レベルで異なっているセロトニントランスポーターの数の違いせいかもしれません。
物質的視点からみると
- セロトニン型幸福
- オキシトシン型幸福
- テストステロン型幸福
- エンドルフィン型幸福
- ドーパミン型幸福
といった具合に、特定の行動を取ったときに分泌されるホルモンによって「幸福と感じるかどうか」は決まってきます。
そしてどのホルモンによってどの程度の幸福感を感じるか、というのはそれぞれの人間のもつ肉体という物質の細かな違いによって多種多様になります。
逆に精神的な話だとしても、みんな同じ魂の形を持っているわけではありません。
すべての人間が量産型ロボットのように同じ肉体・魂を持っているわけではない以上、幸福の定義は人の数だけ存在することになります。
幸福のフレームワークは与えられない
世の中に「こうすれば幸せになれる」っていうフレームワークはたくさんあります。
例えば
- 結婚すれば幸せになれる
- 子どもができれば幸せになれる
- お金持ちになれば幸せになれる
- 高層マンションに住めば幸せになれる
- ホワイト企業に勤めれば幸せになれる
- 神を信じれば幸せになれる
- 筋トレをすれば幸せになれる
- 成功すれば幸せになれる
- etc…
たしかに一部の人達のある程度の幸福感に沿ったものではありますが、そのフレームワークを採用するということはそのフレームワーク内に自分の幸福が限定されてしまうということになります。
それに、その「与えられたフレームワーク」を過信した結果「なんか違った」というのは多くの人が昔から体験していることですよね。
ちなみにこういったフレームワークはそれによってお金儲けができる人たちが、マーケティングの終着点(ただし責任は取らない)に利用していることもありますから、ゾンビのように盲目的に従っているとカモられると思います。
あくまで世の中に溢れている「〜すれば幸せになれる」という幸福論は、アイデアだけ拝借するものだと思いましょう。
幸せと真実と成功は相関しない
幼い頃って、
「真実をいえば幸せだ!」
「成功すれば幸せだ!」
とかってなるときもありますが、現実世界はそうではないことをやがて知ります。
真実と幸せに相関関係はありませんし、成功と幸せに相関関係はありません。
真実は残酷で知ることで不幸なことはザラにありますし、成功とは結局多くの他者からの承認が得られている状態のことを指すため、承認欲求=ドーパミン型の幸福でしかありません。
成功や真実の探求は一部の人達しか幸せを感じることができないというのがこの世界です。
幸せとは各自の幻想
幸せは与えられないし、世の中にある幸福論は僕たちが一人ひとり違う肉体と魂を持っている以上本質的にその答えになりえない。
幸せとは結局のところ、一人ひとりの思い込み
です。
自分と相手がお互いにどう思っているか、どう感じているかというのは知りようがありません。
その人が幸福を感じていれば誰がなんと言おうとそれは幸福です。
結婚したら墓場だと言われても、それを幸せだと感じているなら幸福ですし、逆に独り身で寂しそうと言われてもその人にとって幸せだと感じられるならそれは幸福です。
自分が何をどのくらいやると幸せを感じることができるかというのは非常に個別性が高い上に、自分自身が生きて肉体的にも魂的にも変化し続けるために普遍的なものはなく流動的です。
幸せの定義は与えられるものではありませんし、幸せそのものも誰かから与えられるものではありません。
幸せに生きるには誰かの幸福論に従うのではなく、自分にあう幸福論を自分で開発するしかないのです。
普遍的な幸せはありませんし、自分が幸せだと思い込んでいたらそれは幸せな以上、幸せに生きるのは幻想の中に生きるのと同じかもしれませんが、そうする以外にはないんです。
誰かの幸福論に従うのはやめよう
学校教育は承認欲求の奴隷を生産するように作られていますから、社会に受け入れられなければならないと思っている人は非常に多いです。
社会に貢献しなければならない、役に立たなければならない。
それは上で書いたように誰かの提供したフレームワークですし、それに盲目的に従うのはただのゾンビです。
自分幸福論ではなく明後日の方向に進んでいますから、いつまでたっても幸せにはなれません。
参考にはしつつ、自分のアタマで考えて、自分なりの幸福論を開発し、それに従いましょう。
【一例】僕の幸福論
一例として僕の幸福論も書いておきます。
ベースとなるのは平穏な心と【Enjoy力を磨く】人生を味わってみると意外とすでに幸福説でも書いたような「すでに持っている眼の前のこと」に幸せを見つけて、見つけた幸せを味わうことです。
僕は子供の頃の夢が釣り人だったくらいですから、基本的には心が平穏なセロトニン型の幸福を求める割合が多いです。
「【読書レビュー】世界中の億万長者がたどりつく「心」の授業【悩める人にプレゼントしたい一冊】」で書いたような瞑想がセロトニン型の幸福を得るには一番だと思ってます。
会社では昼休みに20分の瞑想をしていますね。
あと日常的に筋トレをしていますが、これによってテストステロンが分泌されるのでテストステロン型の幸福を感じつつ健康的に生活しています。
このベースの上に、家族や友だち、ペットの犬と猫たちといるときのオキシトシン型の幸福がおまけで付いてきます。
そんな平穏な毎日の中で一週間に1〜2回ほどグラフがスパイクするように趣味に没頭する幸福をおきます。
僕の場合はギターやドラムといった楽器ですね。
これでエンドルフィン型の幸福感を感じるようにしています。
基本的にはここまでで個人としては十分以上に幸せです。
その上で、サラリーマンですからそれなりに仕事もします。
その中で仕事をやり遂げて達成感を感じたりみんなに承認されたりすることで、ドーパミン系の幸福感を感じつつ、無理なくゆるゆると幸せを感じる人生を歩むことを重視しています。
あと忘れてましたがこのブログですね。
毎日アクティブ・ラーニングしようと思い何かをアウトプットする先として始めましたが、結果的に毎日のドーパミン摂取に役立っています。
僕の幸福論は投資で言ったら長期の分散インデックス投資型で、短期株式やFXみたいなアクティブファンド型ではないイメージですね。
このバランスでときどきポートフォリオを見直して、割合を調整しながら自分なりの幸福の最大化をしながら生きています。
まとめ:幸福論は自ら開発しなければならない説【幸せとは何か】
いかがでしたでしょうか。
幸せは自分なりの幸福論を開発したときにはじめて見つけることができるものだと思います。
幸せは思い込みと幻想の世界にしか存在しないものですから、誰にも理解される必要はなく、そもそも理解される類のものでもありません。
ぜひ自分なりの幸福論を開発してみてください。
このブログでは毎日更新で「過去の自分が知りたかったこと」をジャンル問わず書いているので、もしあなたの役にも立ちそうなことを書いていたらまた読みに来てください。