【読書レビュー】洗脳論語 by苫米地英人【秋の読書感想文】
【レビュー】洗脳論語 by苫米地英人【秋の読書感想文】
こんにちは
yoshi(@yoshiblogsite)です。
読書の秋ですがみなさん本読みははかどっているでしょうか。
人生観を変えるかもしれない禁書5選【読書の秋】で紹介した1冊「洗脳論語」についてレビューしようと思います。
徹底的な論語のdisり本
結論からいえばこの「洗脳論語」は孔子の論語を徹底的にdisっている本です。
とはいえ論語は漢文なので日本語と違って同じ文章でも解釈の仕方が非常に多様だそうです。
そのためどうとでも取れるらしいですが、時代を経るにつれて権力者のフィルターがかかりまくっていて洗練された素晴らしい洗脳書になっている可能性もあるとのことです。
この本のポイントを3つにまとめてみました。
- 論語は危険な洗脳書
- 論語は差別思想の塊
- 論語は権力者のための民衆奴隷化指南書
順に解説していきましょう。
論語は危険な洗脳書
タイトルが「洗脳」論語と書いてあるだけあり、論語のことを徹底的に無意識下に(後述する)差別思想や奴隷思想を植え付けるものだととらえています。
この本でもっとも危険思想だとしているのは、
子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害なう無く、身を殺して以て仁を成す有り。
(衛霊公第十五の九)
を引用し
仁は人命よりも尊い
としている点です。
この仁を切る相手は誰かというと「君子」であり、時代背景からすれば「皇帝」以外にはありません。
皇帝以外を君子とよぶと、処刑されるような時代だったと書いています。
その思想が日本で根付いた先が、切腹や神風特攻隊だという論調でした。
論語は人の命よりも「君子」たる天皇や将軍に重きを置く思想ということですね。
まぁ最近では誰もそんな感覚で論語は読まないですが、確かに人を殺す思想は生きています。
ブラック企業で働いていて自殺したり体調をくずすまで働いてしまう人は、この論語(儒教)の思想に洗脳されていると思っていいかもしれませんね。
人の命よりも仁義が大切、会社のために死ぬまで働く、そんな思想にストップがかからない人は、日本に根づく論語の特に危険な思想の面に洗脳されきっているので、脱洗脳したほうがいいでしょう。(と言っても仁のほうが大切だと思うでしょうから脱洗脳は難しいと思いますが。。。)
論語は差別思想の塊
論語は差別思想だと捉えています。
「君子と小人」「上知(優れた人)と下愚(愚かな人)」のように人を分けて、そこには絶対に越えられない壁があることを事あるごとに刷り込んでいるとしています。
孔子の論語は、釈迦がといたオリジナルの仏教のような超常現象を含む世界平等でもなく、キリストがといたオリジナルのキリスト教のように神という超常的存在を頂点とした人類平等の構図でもないとのこと。
年上が偉い
という思想が日本では根付いていますよね。
兄や姉、親、先生、先祖、先輩、、、雇用契約のような契約によらない上下関係が至るところでみられます。
年上の能力が低くてもそんなことは関係なしで「年上は偉い」と刷り込まれています。
学校や医者、弁護士、政治家などを呼ぶときに使う「先生」という言葉自体が差別思想の塊であるとしています。
つまり根源的には先に生まれたかどうか、そしてそこから「偉いか偉くないか」という差別思想を植え付けているそうです。
絶対に越えられない壁
これを刷り込むことで、権力者は安全地帯を確保することができるわけですね。
これは論語を真面目に学び、その上でこのような解釈をし、それを信奉した場合に陥るものだと思いますから話半分に論語を読んで、差別思想ではない解釈をするなら問題ないでしょう。
ただし論語を差別思想の意味で引用する人がいたら注意すべきかもしれませんね。
論語は権力者のための民衆奴隷化指南書
孔子は儒教の巫女の家に生まれましたが、男であるため巫女にはなれませんでした。
巫女は当時圧倒的な権力があったとされますが、男であるためにそれが得られない、だからこそ自分(男)を頂点とした新しい宗教体系を作る理論=論語という宗教を構築した、と捉えていました。
論語が権力者に絶賛されているのは、その思想が「君子」を頂点とした支配構造を抵抗感をほぼ与えずに作ることが可能だからです。
「君子」はもともと皇帝や孔子でしたが、現代では支配を仕掛ける人です。
論語は受け入れやすい枕詞のあとに本心を忍ばせる一節が多く、大量の例を上げて説明がされています。
が、個人的にはややこじつけ感も強いものなので「受け入れやすい枕詞」の部分だけを自分なりの解釈で理解すればOKかと。
もしかすると論語を「人生の指南書」のように捉えて鵜呑みにして信じる人がいた場合は、危険かもしれませんね。
世の中が混乱してきたときに論語が重宝される流れは今までもありましたが、それは混沌を秩序で治めるために支配者層が奴隷化を効率的に進めるためだったのかもしれませんね。
また、道徳の時間は道教という論語の元の儒教やオリジナル仏教ではない日本仏教の根幹をなす宗教を、憲法に違反して刷り込んでいる時間として批判しています。
道徳の時間も日本の権力者による日本人奴隷化計画の一端だとしています。
本来日本は法治国家なので、道徳の時間で道教という宗教を教えるなら法律という知識を教えるべきかもしれませんね。
子どもの時点から「自らの責任において」行動をすべきだという立場のようです。
僕の意見としては、子どもが十分な判断能力を持っていない、という思想そのものが差別思想だと思う立場です。
ただ、差別し支配し奴隷化することが必ずしも悪いことではないと思っています。
それは自由という対価を支払う代わりに秩序をもたらすからです。
とはいえ僕自身は自由と混沌の世界に一票を投じたいところですね。
【感想1】秩序と混沌のどちらを選ぶか
洗脳論語は奴隷化と支配による秩序から、自由意志の混沌へ導く書かもしれません。
「神と悪魔【エンキとエンリルの兄弟喧嘩説】」で書いた視点から見ると、秩序は神にとっての善でありエンリル派、混沌は神にとっての悪でありエンキ派、だと思います。
そしてこの構図において混沌・悪に位置するのは「知識を与え、個人が自由意志において判断できる能力を持つこと」かもしれません。
エデンの蛇にそそのかされてりんごを食べたときも、エアの言葉で洪水を逃れたときも、プロメテウスに火を与えられたときも、「悪」はいつでも知識と知恵を人間に与えてきました。
各自がそれぞれに自由意志によって判断し始める。
自由意志はロックやヒッピー文化が象徴するものでもあり、そういった人たちのテーマはいつの時代も支配者層や秩序への疑問です。
秩序を維持する支配者層からしたらとんでもないことですよね。
混沌はまさにこれから到来する世の中です。
国も会社も組織も立ち上げ時点では強力なカリスマとリーダーシップを持った人が、それ以外を支配する構図が大きな流れを作るには効果的ですが、成熟してきた流れだと流れそのものが方向性を持っていますから、各自が自由意志によってバラバラに動いても全体の流れは変わりません。
すでに会社にも組織にも所属せずに稼いで生活しているYoutuberのような人が増えています。
ブロックチェーン技術によって中央集権が崩壊するかもしれません。
自由意志をある程度抑えてでも、支配者層による秩序が保たれる方がいいという方も多いでしょう。
支配され、奴隷でいることは責任を取る必要がなく、生きる道も自分で探す必要がなく、一言で言えば「楽」です。
逆に自由は全責任は自分に返ってきますし、進む道も常に自分で選択し続けなくてはならず誰もガイドしてくれませんから、一言でいって「辛い」です。
奴隷思想から開放されて、自由意志を持っても社会が崩壊しないように人類は成熟してきたのかもしれませんが、あなたはどう思うでしょうか?
【感想2】洗脳論語は新たな視点からの論語解釈
2000年の歴史を誇る論語ですからこのような視点は別に新しくはないと思いますが、こじつけとも取れるほどうがった見方も散りばめながら徹底的に論語を批判していくスタイルは新鮮でした。
基本的に日本では論語は「素晴らしい自己啓発書」のような位置づけですから。
なかなか批判する書も多くないです。
ちなみに僕自身は論語を「孔子の論語から学ぶ【仁】成長と愛の思想とは?」に書いたような捉え方をしているので、もし過去に戻って孔子に聞いた時「洗脳論語」に書かれていることが論語の本質だとしたら、僕は論語を誤解しています。
が、それでいいと思っています。
だってそうとらえたほうが「いい感じ」ですからね。
奴隷化、支配よりも自由意志の方を尊重したいですから、捉え方も人それぞれでOKです。
まとめ:【レビュー】洗脳論語 by苫米地英人【秋の読書感想文】
いかがでしたでしょうか。
論語を信奉している人が読んだらもしかしたら怒るようなこの書。
ですが、コペルニクス的な視点を持って読むと面白いのではないでしょうか。
僕はこの世界において、本当の「悪魔」とされるものは人間に知識を与え、自由意志を推奨し、支配(=奴隷化)を拒絶するすべての派閥のことを指していると捉えていますが、そういった視点から見ると、
「洗脳論語」はまさに悪魔の禁書
であると言えるかもしれません。
あなたはどんな世界を幸せだと思うでしょうか。
このブログでは毎日更新で「過去の自分が知りたかったこと」をジャンル問わず書いているので、もしあなたの役にも立ちそうなことを書いていたらまた読みに来てください。