孔子の論語から学ぶ【仁】成長と愛の思想とは?

孔子の論語から学ぶ【仁】成長と愛の思想とは?
孔子が説いた最高の徳。仁。
ビシッと明確な説明は論語の中にはないので、孔子の発言から推測せざるを得ないものですが、そこから導き出される答えは希望と楽しさに満ちたものです。
生きるのに迷い、楽しさを失っている現代人は多いです。
若い人は特に多いかもしれません。
おそらくインターネットでカンタンに情報収集が可能で、いつでもSNSで世界中の情報に触れられ、昔よりも圧倒的な速度で知識が流入してくるので、昔よりも迷いやすくなっているのかもしれません。
今回の記事はそんな方に見て欲しい内容です。
仁とは愛と成長を楽しみながら育む思想
結論から言うとその思想は、
- 誰しも愛は持っていて、ただ狭くなっているだけ。
- 最初から天下を愛するような大きな愛に至ろうと焦らなくていい。自己愛から順に広げていけばいい。
- 成長のエンジンは楽しむこと
論語にて説明されるその内容は、厳しくも優しく、ワクワクするような考え方です。
愛は誰でも持っている
戦乱の時代に生きた孔子ですが、彼は人間の持つ愛を見捨てませんでした。
世の中には敵意を剥き出しにしてくる人もいますし、嫌がらせをしてくる人たちもいます。
今風に言うとアンチですね。
そういう人を見ると、「愛を持たない人たち」と思うのが普通でしょう。
しかし孔子はそうは考えませんでした。
愛は誰でも持っていて、その愛の向き先が狭くなっているだけ。ととらえていました。
自己愛から広げていく博愛

最初から大きな愛をもつ必要はないです。
まずは自己愛、そして家族愛、そこから国や天下を愛せるようになっていけばいいとしています。
すべての基盤となるのが自分自身であり、それを基点として成長させていけばやがて大きくなっていくという、時間軸の概念を強く意識しているように思います。
最初は小さくても、それを育んでいけばやがて大きくなっていく、という考えです。
しかし、途中でどうしても愛せない人は出てきますよね。
生理的に無理なタイプというのは誰しもいると思います。
それに対して、孔子と弟子との問答が残っています。
「悪意にも善意で報いるべきなのでしょうか?」
「いやいや、じゃあ善意には何で返すんだ?悪意には理性で返し、善意には善意で返すんだよ。」
孔子も嫌いなものは嫌いだし、それを否定しなくてよいと言っています。
嫌な感情や怒りの感情は沸き起こってもそれには理性で返し、無関係の人に八つ当たりさえしなければその感情がわきおこること自体は、人間の自然な反応だととらえるのが孔子の立場です。
楽しむことが成長の糧になる
孔子は何かに取り組むときに
- それを知っていることはそれを好きな境地には及ばない
- それを好きなことはそれを楽しんでいる深さには及ばない
ととらえていました。
彼自身が、「ワクワクして気持ちが高ぶってくると食事のことも忘れてしまう、楽しみに熱中してると心配事も吹っ飛んでしまう、老い先短いことも忘れているくらいに。」と自分のことを言っていますが、人生を楽しむことはそれすなわち成長のエンジンとなることをよく知っていたようです。
わたしたちの経験則としても楽しんでいるときほど、素晴らしいことはこの世にはないですよね。
また、こうして成長することは周りにまで影響し、周りまで成長させることでもあります。
成長すれば部下や後輩、フォロワーや弟子ができ、そしてまた彼らがその次の世代を成長させていく。
こうした素晴らしい循環の基点となるのは、自分自身が楽しみ、それに伴って成長を続けることです。
結果的に楽しさの行き着く先は「孔子の論語の考えから学ぶ成功法則」にて書いた自分自身の芯を育み、義を持って味方を増やし、和をもたらしていくことに繋がります。
孔子の論語から学ぶ【仁】成長と愛の思想とは?まとめ

いかがでしたでしょうか。
- 誰しも愛は持っていて、ただ狭くなっているだけ。
- 最初から天下を愛するような大きな愛に至ろうと焦らなくていい。自己愛から順に広げていけばいい。
- 成長のエンジンは楽しむこと
孔子自身が貧しいながらもワクワクしながら人生を楽しんでいて、しかもそれをもっとも尊敬すべき君子へと繋がる大事な人生の指針だととらえていました。
結果的に2500年以上前に生きた孔子は聖人となり、現代まで語り継がれるような人物となったわけですが、彼の残した思想は現代においても活用できますし、希望に溢れた最高にCoolな世界のとらえかたですね。
【おまけ】孔子の時代は戦国の混乱時代
孔子は仏教の祖であるお釈迦様や、ピタゴラスの定理のピタゴラス、ソクラテスなどと同じ時代に生きた人物です。
当時の(現代における)中国の領土は戦乱の時代の真っ只中でした。
孔子が生きた時代のあとは、あの人気のマンガ「キングダム」の戦国時代に入り、秦が中華統一していくことになります。
当時は血で血を洗うような時代でしたが、現代は血こそほとんど流れないものの、メンタル面や経済的に混乱している時代です。
インターネットは普及しAIやブロックチェーンなど、あらゆる職業を淘汰するようなものが現れ始めていますし、日本でも格差社会が広がり続け混乱は加速しています。
そんな時代では心が貧しくなって拝金主義によっていってしまうかもしれませんが、そんな時代だからこそ論語の「仁」の考え方は指針になると思います。