【読書レビュー】カルト村で生まれました。【猫を殺すのはよくない】
【読書レビュー】カルト村で生まれました。【猫を殺すのはよくない】
こんにちは
yoshi(@yoshiblogsite)です。
今回は、生まれたときから19歳まで【カルト村】で過ごした女性の回想録である「カルト村で生まれました。」を読んだのでその読書レビューです。
カルト村とは何?
カルトとはどんな意味でしょう。
少なくともいいイメージはないですよね。
Wikipediaによると
カルト(仏: culte、英: cult)は、悪しき集団であることを明確にするために用いられる通俗用語である[1]。良い意味ではなく[2]、反社会的な団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着し[3]、犯罪行為をするような反社会的な集団を指して使用される[4][5]。元来は、「儀礼・祭祀」の意味を表す、否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カルト
ヨーロッパでは、一般的な宗教から派生した団体を「セクト」と呼び[6][要ページ番号]、ときに、同義として扱われることもある[7][要ページ番号]。
「少数の熱烈な信奉者を指す用法」(カルト・ムービーなどの肯定的な意味)は#サブカルチャーでの用例の節を参照。
こういった説明からすると「宗教的にヤバい儀式を行っていた村」(人柱とか)をイメージしますが、そういう感じではなかったです。
- 朝5時起床で労働
- 朝食はなしの1日2食(学校でぶっ倒れる子供もよくいる)
- 朝の労働後は学校まで26km歩いて通う
- 親と子供が会えるのは月に1回の面会日のみ
- 空腹過ぎていろいろ拾い食いする(お供えモノとか木の実とか)
- 体罰は当たり前(体罰中にぶっ倒れる子供もいる)
- 非常にマズい(が栄養価は高い)卵ミルクを強制的に飲まされる
- お金を使わない(原始的な共産主義社会)
- モノは共有。服はお下がり。アメ玉はみんなでなめ合いっこ。
- 男子は丸刈り女子はショートカット(シラミが湧くから)
- 手紙は検閲&塗りつぶされる
- テレビは「日本昔ばなし」のみ可
- マンガやペットは当然としてその他娯楽も一切禁止
こんな感じの村社会です。
外の世界で生きてきた僕らからすると戦慄しますよね。
まるで戦時中や戦後(もしくは近代化前)の日本の生活です。
平成の現代でもこんな村が残っていたのか、と驚くでしょう。
子供はすごい
外から見たらとんでもない生活環境ですが、子どもたちはそんな環境でもたくましく成長していくようです。
この本を読むと子どもたちはとても想像力が豊かなのがわかりますし、適応力も大人より遥かに高いです。
カルト村は非常に田舎で自給自足でしたが、その分自然が多く伝統的な行事ごともたくさんあったそうです。
僕も田んぼや畑に囲まれた東京の田舎育ちで、子供の頃は木の実や花の蜜などを食べたりしていたので自然の中で遊ぶ楽しさは共感できました。
子供の頃は大人から見たら明らかに衛生面で「汚い」ことも平気でしてましたね。
正月やお祭りなど地域の行事も子供の頃は毎年楽しみにしていましたし、大人のコミュニティに入ったときの楽しさとかもあって、共感できるところは多かったです。
カルト村は意外と健康的(だが思想統制がヤバい)
この本を読んで驚いたのは意外と健康的な生活だったということです。
非常に困窮しているヤバいイメージを勝手に持っている人も多いと思いますが、僕もその一人でした。
カルト村で育つのはほぼ完全に脱デジタルされ、栄養価の高い無農薬野菜と有精卵や搾りたての牛乳などなどお金で買ったらかなりするような食べ物で囲まれていたようで、健康面でいったら都会の人より健康的な生活をしているのかもしれません。
しかも早寝早起き、必ず労働と26kmの登校が待っていて運動不足とは当然無縁
ただし手紙の検閲や体罰など「人権を無視した行為」は強く叩かれるべき対象だと思いますが。
子供を支配するのは大人のエゴですが、まさに思想を「支配」しようとしているところはやはり「カルト」なのでしょう。
世話係がキチガイすぎる
「世話係」という子供と生活をともにする大人が出てくるのですが、これがひどいことひどいこと。
小学校の先生を思い出します。
体罰や恫喝、意味不明に突然理不尽なキレ方をするあたりはそっくりです。
いまは警察に捕まるのでほぼ見られなくなっていますが、昭和〜平成初期まではまだまだたくさんの学校で残っていた風習ですよね。
まぁ「村」は周囲の一般世界の人からもかなり異質な目で見られていたようですし、村の子供が周辺の一般の土地(畑とか田んぼ)に迷惑をかけたら世話係の人が責任を負うようなので、かなり大変な仕事ではあったと思います。
だからこそ世話係の人の精神面もおかしかったのかもしれませんね。
実際村の子供たちは「いつか世話係のやつ殺してやる」って思いながら過ごしていたらしいです。
こういうのは人がやるとどうしても精神面の安定性がかけるので、ロボットや少なくともAIが世話係を代用できるようになるのが世話する方もされる方も幸せなんじゃないかなーと思ったりします。
笑顔で猫を絞め殺すのはよくない
あるとき子どもたちが猫がついてきて可愛いから村まで連れて行ったそうです。
村で大人の人にあって相談したら、「猫は村の鶏を食べちゃう」といって村で飼うことはだめと言われたそうです。
で、そのあと子どもたちを笑顔で見送りながら後手で猫を絞め殺していたのを、たまたま後ろからみていた別の子が見ていたそうです。
それを子どもが止められないのもわからなくもないですが、洗脳ってコワイですね。
他の子たちは村の大人が笑顔だったこともあり、その人が後手で猫を殺してるなんて信じられなかったそうですが後でその場に確認しに行ってみると血が落ちていたらしいです。
その猫は本当に殺されてしまったのでしょうか。
たしかに鶏は村の大切な家畜ですから、猫に食べられたら大変な事態だというのはわかります。
が、ちょっと怖いなーと思ったエピソードでした。
まぁ昔の日本みたいに犬猫を子どもの剣術の「試し斬り」みたいなことに使っていないだけ良かったですが(良かったのか?)
当人たちは思ったよりも不幸ではないのが伺える
著者の絵のタッチやのんびりとした書き方から、カルト村とはいってもさすがに昔あった地獄のような奴隷生活ではなかったみたいです。
思想までもが制限されまくった環境ですが学びもあり、幸せも悲しみもきちんとある環境だったのが伺えます。
それを「カルト村に洗脳された子供」と切り捨ててしまったらそこまでですが、子供はそれぞれの環境で希望を見出そうとしているのがすごいと思いました。
大人だったらこんな環境に突っ込まれたら、逃走&破壊しようと工作すること間違いなしでしょう。
というか「囚人」の生活に非常に似ていると思いました。
この村で育った子どもが一般の自由な世界に飛び出したら、その自由さと恵まれた日本の環境にとてつもない幸福感を感じるのではないでしょうか。
幸福感は、変化のベクトルですから。
著者は一般の社会に出てからまともな教育も受けていないためか仕事探しも苦労しましたが、今では結婚してこの本を出したり幸せに生きているみたいです。
まとめ:【読書レビュー】カルト村で生まれました。【猫を殺すのはよくない】
いかがでしたでしょうか。
現代の日本でもこんな生活をしている集落があったということは驚きですよね。
この本を読んで思ったのは、外から見ると相当ひどいことでも当の子どもたちはこちらが思っているほど悲惨な環境だとは考えていないこと。
やはり人間は何かと比較することで「不幸」が具現化するのかもしれません。
僕たちの生活している「一般的な」世界とはかなり違う環境がいまの日本にもあったということを知ることができて知見が広がるので、興味を持った方はぜひどうぞ。
マンガなのでかんたんに読めます。
ところで猫は殺さなくてよかったのでは、、、というのはどうしても心残りです。
このブログでは毎日更新で「過去の自分が知りたかったこと」をジャンル問わず書いているので、もしあなたの役にも立ちそうなことを書いていたらまた読みに来てください。