価値観の不一致で別れそうな恋人たちに向けた弁証法的恋愛論の説明【アウフヘーベンリーベ】
価値観の不一致で別れそうな恋人たちに向けた弁証法的恋愛論の説明【アウフヘーベンリーベ】
こんにちは
yoshi(@yoshiblogsite)です。
「価値観の不一致で別れる」
そういったカップルは古今東西数しれず。
でも、もしかするとそれは非常にもったいないことかもしれない、と思ったので今回の記事です。
価値観の不一致は、ヘーゲルに代表される弁証法(アウフヘーベン)によって昇華させることができる可能性があります。
恋愛の目的は何か
人が恋愛するのはなぜでしょう。
- 安心感
- 世間体
- 快楽
- 子孫繁栄
どれも微妙にしっくりきません。
いずれの目的も非常に短期的で限定的なものなので、結婚のような長期的な関係は必要としないからです。
結論:恋愛は心の成長のため
人が恋愛するのは、心・魂の成長のため
というのがもっともしっくりきます。
1つずつ考えてみます。
安心感のための恋愛
所属の不安を感じる人は多いです。
下手すると家族から阻害され、学校でも阻害された先に居場所を求めるためだけに恋愛という形をとっている人も数多くいます。
ただその安心感のための恋愛は、恋愛というよりも単純な所属の不安を解消するためだけのものでしょう。
所属の不安の解消は、友情や浅い絆のコミュニティでも得られるものだと思います。
それらに所属し、不安を解消したら別れてしまうでしょう。
世間体のための恋愛
親からの圧力、周りの友だちがみんな恋愛しているのに自分だけ独り身という圧力
その圧力を解消するための恋愛という形があります。
これもその圧力があまりにもひどいものであれば仕方ないものかもしれません。
しかしこれによって無理やり繋がった2人は、世間体の圧力が解消されたら恋愛の意味を見いだせなくなり別れてしまうでしょう。
快楽のための恋愛
性行為に関する快楽のために恋愛をする人も中にはいます。
性感染症の予防のために特定のパートナーを定めるという理由をあげられることがありますが、それでも長続きするものではありません。
なんだかんだいって普通の生活をしている人は、男女ともに性欲は減退していきます。
セックスレスが恋愛における大きな問題の1つになっているのはご承知のとおりです。
快楽のための恋愛は、セックスに飽きたり性欲の減退とともに「一緒にいる理由がなくなって」別れてしまうでしょう。
子孫繁栄のための恋愛
人類の子孫繁栄が目的なら、もっと効率のいい方法があります。
社会的にそう仕向けることすら可能です。
しかしそれが実現されていないということは、それ自体は恋愛の目的ではないのでしょう。
むしろ人口増加自体が課題になっているので、これは論外だと思います。
心の成長のための恋愛
心の成長のための恋愛がもっとも納得できるのではないでしょうか。
心の成長は親友との間でも期待できますが、弁証法のような方法が可能だとしたらその友情は奇跡です。
これについて詳しく説明します。
弁証法的恋愛論【Aufheben Liebe】
弁証法的恋愛論(アウフヘーベン・リーベ)とは、哲学における弁証法のスパイラルイメージでの恋愛です。
前提として、(同性愛を含む)カップルが2人とも心の成長を共通の【ビジョン】としてもっていなければなりません。
心の成長とは、異なる価値観同士をぶつけ合った先の新たな視点を導き出し合意に至ることの無限のプロセスです。
弁証法は超かんたんに説明すると
- Aが「これは円だ」と主張する
- Bが「いやいや違うでしょ、これは四角だよ」と主張する
- 相反するこの2つの意見に対して次元を1つ追加するアイデアによって「これは円柱だ」ということで合意できる
という感じです。
次元を1つ上昇させることで新たな価値観に到達しています。
そしてまた、導き出された円柱という概念に対しても、「これは円柱ではなく○○だ」とどちらかが価値観の不一致を表し始めたら、同じように合意できる新たな視点に至る無限のやりとりです。
ちょっとイメージしてみてほしいんですが、アウフヘーベンのやりとりを無限に繰り返した先には強い絆で結ばれた愛があります。
毎回の合意において、2人は「わかりあえた」という幸福感を感じながら絆が深まっていきます。
それに加えて、2人の心の世界には元来存在しなかった「新たな価値観」で世界を見ることができるようになっていきます。
「わかる」とは「かわる」ということですが、弁証法による無限のスパイラルは2人がわかり・かわり続けて心の成長に導いていきます。
結婚という制度は、心の成長を促すためにある
矛盾しているようですが、弁証法による無限のスパイラルによって至る強力な絆は、2人の間に愛がなければ育まれません。
ある程度の絆が深まっていれば大丈夫でしょうが、大抵の場合弁証法による相互批判の中で耐えきれずにすぐに破綻します。
そこで作り出されたのが「結婚」という契約制度だと思います。
結婚は安定して子供を育てるためだとか、性感染症を防ぐために性行為の相手を限定する意味もあるという主張もありますが、どちらも表面的なもので現代ではすでに他のシステムが代替できます。
法律や社会的圧力を眺めるとよくわかりますが、結婚するとそのあとの離婚が非常に難しくなっています。
というか離婚するとそのペナルティが非常に大きくなっています。
社会的圧力としてはバツイチバツニなんて言葉があるくらいですし、日本ではそういう人への偏見もまだまだ強いです。
キリスト教圏では、離婚はこっちの感覚よりも非常に重いものだそうです。
だからこそフランスでは婚外子がたくさんいるんですね。
そんな結婚という鎖で繋ぎでもしないと、大抵のカップルは心の成長のプロセスに至る前に別れてしまうのだと思います。
それほどまでに、真実の愛と呼ばれるような強い絆はかんたんには得られるものではないのかもしれません。
結婚により長期的な人生戦略を取ることができる
離婚は非常に難しい、ということで結婚することができればパートナーと長期的な関係を結ぶことが半分約束されたようなものです。
長期的な関係が約束されているとき、人生はより豊かになる道を選ぶことができます。
1つが「繰り返し囚人のジレンマ」から導き出された、アクセルロッドの「付き合い方の科学」に記されているシンプルな人生戦略です。
- 基本的にすべて協調する(決して自分から裏切らない)
- 相手が裏切ったら即裏切り返す(泣寝入りしない)
- 相手が協調したら即協調に戻る(寛容さをもつ)
一言で言えば「自我が確立されたいいやつ」戦略です。
2人がこれを理解しているとき、2人はどちらからも決して裏切りません。
浮気などの心配がなくなるのです。
万が一片方が裏切るつもりがないにも関わらず、無意識的に行った行動によってもう一方が「裏切られた」と感じても、すぐにもとに戻ることが可能です。
この人生戦略によって人生の幸福度、他者への安心感は最大化される可能性があります。
ちなみにこの戦略は、短期的な関係だとうまく機能しないので注意です。
結婚によって弁証法を実施できるようになる
弁証法はその仕組み上、相手の意見と対立しぶつけあうことをよしとします。
これは非常に疲れることです。
価値観の不一致が発生した時、お互いが自分の主張を曲げない場合は永遠の平行線上です。
ただしそうならないように、2人は同じ「心の成長」というビジョンを掲げていて、そこに向かって建設的な話し合いがなされる必要があります。
それであっても価値観の不一致が起きている間は「わかってくれない」「永遠にわかりあえないのではないか」という不安がよぎります。
不安がよぎりますし疲れるので、間に数日間など休憩をはさみながら長期間じっくりと話し合い、2人なりの結論を導き出していくのは、期間的な面でも諦めたくなる話し合いの性質の面でも、結婚は非常に有効な方法だろうと思います。
別れようとしても法的・社会的な鎖が2人をかんたんには引き離しませんからね。
結婚すれば焦る必要がなくなります。
むしろ焦りすぎると、耐え難いほどストレス値を上げてしまい、心の成長どころか離婚に踏み切ることになりえます。
話し合いに疲れたときは、一旦保留するなり諦めてどちらかの意見に従うなりして、また元気が出てきたら話し合うことができます。
まとめ:価値観の不一致で別れそうな恋人たちに向けた弁証法的恋愛論の説明【アウフヘーベンリーベ】
いかがでしたでしょうか。
けんかするほど仲がいいとも言いますよね。
2人の恋愛のビジョンが心の成長であれば、価値観の不一致は逆に世界観を広げる可能性を秘めている喜ばしいことです。
もし価値観の不一致によって別れそうな方は、最後に2人の恋愛の求めるところを話し合ってみるのもいいのではないでしょうか。
もしくは、そういった恋愛観の提案をしてみてもいいと思います。
このブログでは毎日更新で「過去の自分が知りたかったこと」をジャンル問わず書いているので、もしあなたの役にも立ちそうなことを書いていたらまた読みに来てください。