【働きたくない】お金稼ぎをする理由【モチベーションアップ系】

【働きたくない】お金稼ぎをする理由【モチベーションアップ系】
こんにちは
yoshi(@yoshiblogsite)です。
「なんでお金稼ぎをするんだろう」
「お金を稼ぐだけの人生なんて生きている意味ない」
「働きたくない」
ほとんどの人が一生に一度は頭をよぎったことのあるフレーズだと思います。
今回はお金を稼ぐ理由について考えてみようと思います。
働きたくない
働きたくない
この願いを持っている人は掃いて捨てるほどいると思います。
逆に思っていない人はワーカホリックかもしれません。
一応国民の三大義務の1つとして「勤労の義務」がありますが、これは強制労働ではないです。
働きたくなければ働かなくてもいいんです。
ただし、その場合国が提供する(税金でまかなっている)社会保障は全て受けられないけど、それでいいなら働かなくてOKということです。
民間の提供するものであればお金さえ払えばサービスを受けられるので、それで十分な人は働かなくていいかもしれませんね。
【ライスワーク】働きたくないのは労働だから
でも、働きたくないっていう人の大半はほんとうの意味で働きたくないわけじゃないです。
「それしか食べていく方法を知らないから」
というのが理由です。
衣食住さえ整えば、たとえ1枚しか服を持っていなくても、たとえ1畳しかない部屋でも、たとえ1日1食しか食べられなくても、生きていけます。
余談ですが人間は本来1日2食で十分以上に健康に過ごせますが、エジソンが自分の発明したトースターを売るため=お金稼ぎのために朝食をプラスして1日3食にしたのが起源です。
衣食住のうち衣は一着であれば1万円もあれば十分過ぎる服が揃いますし、(最低限を考えると)一回買ったらほぼ一生使えます。
食は1日2食の普通に健康的な食事を取れば、月2〜3万円もあれば十分に健康な食事ができます。
ここまでであれば月収5万で十分生活できます。
住だけが圧倒的に高いです。
電気ガス水道も含めると、月3〜5万円はかかります。
ということで手取り10万あれば多少余裕のある生活ができるのが日本です。
逆に言えば10万円弱は稼がないと衣食住が足りません。
そしてそのお金を稼ぐとき、ほとんどの人は「遊びの延長線のように」稼ぐことができない=労働のため、強制労働させられている感覚をもってしまうので「働きたくない」と感じるのです。
強制労働大国日本
起業した社長とかフリーランスの人とかって、週7日睡眠の時以外ずっと働いていますよね。
働きたくないといっている人との差は「遊びの延長線のように」楽しんでやっているからです。
仕事は遊びじゃない
って人がたまにいますが、それは強制労働であり仕事ではありません。
仕事は遊びです。
ただし本当の遊び=その人の運命です。
適当に、無責任に、情熱もなく、なんとなくやる遊びではありません。
2000年以上前から発見されていることですが苦しみのはてに幸せはありませんし、それは隠蔽されていますが本質的には強制労働であり、まさに社会システムに奴隷化されている人です。
本来(日本においては)人間には上下関係がなく、産まれたばかりの赤ちゃんも、50歳のベテラン社長も、総理大臣も、お客さんも、店員さんも、みんな平等の価値があるはずです。
「【レビュー】洗脳論語 by苫米地英人【秋の読書感想文】」にも書きましたが、権力者の仕掛ける儒教や(原始仏教ではない)日本仏教、全てとは言いませんが確かに一部の人たちが悪用して洗脳しています。
もちろんキリスト教などの他の宗教でも、悪用されるとそうなりますが。
その悪用の結果、いつの間にか強制労働大国になってしまったので、日本はこんなに恵まれている安全な国なのに世界有数の不幸大国になっています。
日本人は強欲なので苦しんでいる
世界の生活を調べてみると、インフラが整っていて、清潔(世界基準であり日本基準ではない)で、エンタメもたくさんあって、この程度の労働でみんなスマホを持てるような国はそうそうありません。
もっとキレイになりたい
もっと周りからよく見られたい
もっと楽しいゲームがしたい
もっと便利でストレスなく生活したい
もっと広い家に住みたい
もっと名誉がほしい
もっと感謝されたい
もっと自分の子供を裕福に塾にも行かせたい
もっともっと、、、
だからもっとお金が必要になり、いつの間にか強制労働地獄に堕ちています。
まぁそれが人間ですから仕方ないですね。
「もっと」を捨てれば即座に苦しみから開放されますが、それは強制労働の洗脳に浸ってしまっている現代人にとってとてつもなく大変なことです。
日本人は「遊び」を見失って苦しんでいる
遊びはなんとなくやるものではなく、情熱をかけてやるものだと書きました。
言い方を変えればアイデンティティーを証明するものです。
自分が自分である、ということを実感する心の叫びを体現する行動とも言い換えられるでしょう。
意外と調べたことのない「遊び」を試しにWikipediaで調べてみました。
遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。類義語として遊戯(ゆうぎ)がある(詳細後述)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/遊び
よくまとめられている、非常にわかりやすい文章だと思います。
「遊び」はその内容によっては必ずしも生存における実利は伴わないものでした。
しかし今の時代は違います。
遊びをYoutubeやSNSやブログで発信すると誰かのエンタメになって、それが上手く回ってお金を稼げて、生存における実利が伴うものになってきました。
間違いなく「遊び」で稼げる=生存していける時代です。
そして本来「遊び」は人生の資質の鍛錬の場です。
カイヨワの「遊びと人間」の中では下記のように説明されています。
一面において、「遊び」は人生に不可欠の資質がベースとなっている[9]。アゴンは闘争本能、アレアは決断力や胆力、ミミクリは模倣本能、イリンクスは不快感にたえる忍耐力を必要とする[9]。したがって、「遊び」はこうした人生に不可欠な資質を無駄遣いしながら、それを鍛錬する場ともなっている[9]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/遊び
盛大に才能の無駄遣いをして鍛錬したものが無駄にならない世界になってきています。
まとめ:【働きたくない】お金稼ぎをする理由【モチベーションアップ系】
いかがでしたでしょうか。
僕もできていないことですが捨てられる「もっと」があるなら捨てましょう。
無限の強制労働地獄から抜け出すことができるでしょう。
資本主義による生産物は、マルクスの「疎外」に示されるように必然的帰結として、人のコントロール下から離れて自由意志を持ち始めます。
その仕組みに組み込まれた歯車は、人間らしさからの疎外を受けるということが注意喚起されています。
もっとをすてて最後に残った「もっと」がもしかすると魂の叫びの「遊び」であり、労働ではなくあなたがやるべき仕事かもしれません。
内発的動機づけ=心の声を聞けば、資本主義社会においても自分を見失わずにマルクスのいうような疎外を受けることもないでしょう。
このブログでは毎日更新で「過去の自分が知りたかったこと」をジャンル問わず書いているので、もしあなたの役にも立ちそうなことを書いていたらまた読みに来てください。